電話が止まって、1日が経ちました。
少し不自由さもありますが、時が経つにつれて慣れていくと思います。
今回は、電話が止まって分かったことを話していきます。
- 時間が有り余っていること
- 調べられないこと
- アートに還元できること
一つずつ詳しく話していきます。
時間が有り余っていること
電話が止まって分かったことはまず、ズバリ、時間が有り余っていること。
普段、どんだけスマホに時間を割いているか改めて分かりました。
かつての私は、夜は決まってYouTubeなどの動画をめちゃくちゃ観ていました。
寝るまでの間ずっと。おそらく3〜4時間ぐらい。
大して面白く感じていないにも関わらず、惰性で観ていたんでしょう。
これは本当に良くない習慣でしたね。
昨夜は、動画観ていた時間を使って、本を読みました。
何にも縛られず、純粋に読書に打ち込めたのはよかったですね。
自分は、絵だけではなく、文章も書いているので、勉強にもなりますし。
今後は、読書だけではなく、いろんなことに時間を使えたらと思います。
調べられないこと
電話が止まったってことは、ネットも使えないってことです。
これに関しては、今はまだ不便と感じます。
ちょっとした調べものや、マップ、Instagramなどのアプリが使えないのは、特に感じました。
何か分からなかったらすぐ調べる質なので、調べられないのには少々ストレスです。
どれだけすぐ答え(合ってようが間違っていようが)が出せる世の中になっていたんだろうとつくづく思いました。
一昔前なら、自分の足で、また本や新聞を読んで探していたのに、今は受け身の体制で情報が入ってくる世の中なんだと実感しました。
自分で答えを見つけることが大事で、しかも楽しいのがいいですよね。
趣味のフィールドワークを再開しても面白いかも。
アートに還元できること
電話が止まったことによって、生活水準が落ちました。
これって一見ダメなことかも知れませんが、この状態が人と違うことにつながります。
スマホがある生活が普通の世の中において、普通じゃないところにいるのが、自分がアートに求めている「日常の中の非日常」に繋がるからです。
岡本太郎さんも言ってましたが、
「ダメになる方、マイナスの方の道を選ぼう、と決意してみるといい。そうすれば、必ず自分自身がワァーッと盛り上がってくるに違いない。それが生きるパッションなんだ。」
まさしく、そうで、正解の中で生きてきたら、鬱屈するものもなく、命かけるものもなく、とりわけ楽しくない、生ぬるい生活になってしまいます。
そんな人の表現、面白いですか?
まあ、まだ全然売れてない私がいうのはお門違いなのかも知れませんが。
ただ、私はこういう生き方でありたいし、この生活の中からアートを生み出したい。
命をかけたアートで、鑑賞した方々に「いや」「辛い」「息苦しい」など言わせたいですね。
電話が止まったことによって、命がけできることに嬉しさを感じています。
そして、これからのアートの変化も楽しみです。
終わりに
電話が止まって分かったこと3個解説してみましたが、これからもっと出てくるかも知れません。
その時に、また話そうと思います。
いつ電話復旧できるか分かりませんが、今を楽しみます。



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